古代アテネの人口

古代アテネの人口はその歴史上の重要性に比して意外なほど少ない。

バートランド・ラッセル著、市井三郎訳『西洋哲学史 1』(みすず書房、1970年)によると、「紀元前430年頃の極大期には、アテナイの人口は(奴隷を含めて)ほぼ23万人であったと推定され、その近隣の田園領地アッティカはおそらくそれより人口が少なかったことであろう」(P67)。

生成AIのClaude Haiku 3.5にも「紀元前430年頃のアテネの人口」を訊いてみた。その回答もラッセルと大差なかった。Claude Haiku 3.5の回答には人口の内訳がある。以下に一部を引用する。

== 引用ここから ==
紀元前430年頃のアテネの人口については、正確な数字は難しいですが、歴史学者の推定によると、以下のようになっています:

1. 総人口:約250,000〜300,000人

内訳:
- 市民(成人男性):約30,000〜40,000人
- 女性:約30,000〜40,000人
- 子供:約60,000〜80,000人
- 奴隷:約100,000人前後

(以下略)
== 引用ここまで ==

(2025/8/7追記)
投稿後、友人から「アテネは古代にしては大都市」というご指摘をいただいた。再びClaude Haiku 3.5に「紀元前430年頃の世界と日本の人口」を訊ねてみた。回答は以下。

== 引用ここから ==
紀元前430年頃の世界と日本の人口について、以下のように推定されています:

世界の人口:
当時の世界人口は非常に少なく、約500万人から1,000万人程度と推定されています。この時期は古代文明が発展し始めた時代で、農耕と定住が徐々に広がっていた段階でした。

日本の人口:
紀元前430年頃の日本列島の人口は、非常に少なく、数千人から数万人程度と考えられています。この時期は縄文時代中期にあたり、狩猟採集と初期の農耕を営む小規模な集団が存在していたと推測されます。

注意点:
- これらの数字は考古学的な証拠と推論に基づく大まかな推定値です。
- 当時の人口を正確に把握することは非常に困難です。
- 文明の発展や生活様式によって、地域ごとに人口密度は大きく異なっていました。
== 引用ここまで ==

友人のいわれる通りのようだ。当時の世界の人口がこの程度とは知らなかった。ただ、例えば、古代から現代までの西洋哲学史をみると、古代アテネの哲学者の人口密度は抜きんでて高い。他の分野でも同じようなことがいえるものがある。だが、これらは歴史の進歩に関連する別の事柄なのだろう。


バートランド・ラッセル著、市井三郎訳『西洋哲学史 1』(みすず書房、1970年)
バートランド・ラッセル著、市井三郎訳『西洋哲学史 1』(みすず書房、1970年)

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