国際市場で逢いましょう

ユン・ジェギュン監督による韓国映画『国際市場で逢いましょう』(2014年)。朝鮮戦争後の韓国で家族を守るために懸命に生きたユン・ドクスの物語。原題: 국제시장、英題: Ode to My Father。下は父の写真と語り合う若き日のユン・ドクス(ファン・ジョンミン)。
Ode to My Father (2014)

2010年頃の韓国。釜山の国際市場に「コップンの店」がある。
Ode to My Father (2014)

「コップンの店」の経営状況は厳しかった。しかし、店主のユン・ドクス(ファン・ジョンミン、左)は立ち退き話に耳を貸さない。
Ode to My Father (2014)

場面は朝鮮戦争下の1950年12月の咸鏡南道(現在は北朝鮮)の興南にフラッシュバックする。ユン・ドクスとその家族(両親、弟、妹2人)は迫りくる中国軍から逃れようとする人々でごった返す港で無我夢中で避難船に乗り移ろうとしていた。
Ode to My Father (2014)

ドクスらはようやく非難船に乗り込むことができたが、父と下の妹マクスンとは生き別れになる。父(チョン・ジニョン)が別れ際に長男のドクスに残した言葉は「俺がいなければお前が家長だ」「家長はどんな時も家族が優先だ」「今からお前が家長だ」「家族を守れ」というものだった。
Ode to My Father (2014)

1951年初頭、釜山の国際市場。ドクス(左)と母(チャン・ヨンナム、中央)、弟、上の妹の4人は叔母(父の妹)のユン・コップン(ラ・ミラン、右)を頼って、釜山に渡る。叔母はドクス一家を受け入れ、ドクスらは叔母の営む「コップンの店」で働くことになる。
Ode to My Father (2014)

1963年。成人したドクス(中)は弟を大学に進学させるために旧友のダルグ(オ・ダルス、右)とともに西ドイツに出稼ぎに行くことを決める。
Ode to My Father (2014)

ドクスたちの仕事は炭鉱労働者だった。ドクスは家族のために懸命に働く。
Ode to My Father (2014)

西ドイツに渡って2年後、ドクス(左)はやはり出稼ぎに来ていた看護師のオ・ヨンジャ(キム・ユンジン、右)と知り合う。ドクスはヨンジャに一目惚れする。
Ode to My Father (2014)

ドクスは鉱山事故に遭遇するが、九死に一生を得る。
Ode to My Father (2014)

1963年、ドクス(左)は韓国に帰還する。この家はドクスの稼ぎで買ったものだった。数カ月後、ヨンジャも帰国し、二人は結婚する。その後、叔母の「コップンの店」はドクスが引き継ぐ。
Ode to My Father (2014)

ドクスはその後も家族のためにベトナム戦争下のベトナムに赴くのだが、これ以降は略す。

朝鮮戦争後の韓国の復興と成長に重ね合わせながら、ドクスの半生が描かれる。シリアスなテーマにコミカルな要素が加わっている。


映画『国際市場で逢いましょう』日本オリジナル予告編 - YouTube
 

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