戸板康二著『折口信夫座談』(中央公論社、1972年)。昭和20年春から23年5月における折口信夫の片言隻句を弟子の戸板康二が書き留めた記録。話題は芸能、詩歌、人物など多岐にわたる。戦中のものをいくつか抜き書きする。歌舞伎や芝居に関する発言が頻出するが、戦前の役者の話が多い。大半は除外した。
- (歌に関連して)平仮名だと、ゆっくり読むから、味が濃くなる。(8ページ)
- (米軍の硫黄島上陸に関連して)硫黄島の報道をきいていると、こちらまで、渚に立たされているような、たのめない気持ちになる。(9ページ)
- (昭和20年3月)一年中、私は氷枕を当てて寝る癖がある。(10ページ)
- (誰かからブリを沢山貰って)ブリの肉はあきるね、毎日食べているうちに、人間の肉のような気がしてくる。(20ページ)
- (空襲に関連して)アメリカはデマに真実性を持たせるから-26日までに何度行くなんでいっておいて、その通り来るから、後で本当の嘘のとき、ひっかかる。(23ページ)
- (同)アメリカを、焼きにゆきたいね。(24ページ)
- (同)空襲のあとで、一機、まるで花見でもするように上を通るのが、いちばんしゃくにさわる。(24ページ)
- (ことばについて)略語は使うものではない。(29ページ)
- (同)四十をヨンジュウ、九十をキュウジュウなんていうのは、商人だ。学問をするものは、そういう読み方をしてはいけない。(29ページ)
- (芝居の話し)東京の人は好みが偏屈だ。(32ページ)
- (同)東京の見物は、一度見たものをまた見たがる。落語でも、知っているのを聞きたがる。(32ページ)
- (昭和20年6月)ドイツあたりは戦争になれて、すぐ秩序が回復するようになっているのだね。(36ページ)
- (昭和20年8月15日)放送にでていただいたりして、また天子さまを利用しようというのだね。重臣だの、軍人など、はりつけにしてやりたい。(48ページ)
- (同)こうなる筋書きがどうも決まっていたような気がする。新聞なんか、ロシヤのことを書く場合でも、延安や重慶のことを書く場合でも、もう反抗した気分もなく、仲のいい国のことを書いているようなものだもの。(49ページ)
- (同)沖縄が帰ってくれば別だが、そうでなければと思って、沖縄の史料を集めることにした。(49ページ)
折口信夫の生の言葉を通して、彼のものの感じ方や考え方に触れられる。沖縄に寄せる気持ちも強い。
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