大阪の宿

五所平之助監督による新東宝映画『大阪の宿』(1954年)。保険会社に勤務する三田喬一(佐野周二)は東京から大阪に左遷され、酔月という安旅館に下宿する。原作は水上滝太郎の同名小説。英題: An Inn at Osaka
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

1950年代の大阪。三田喬一(佐野周二、左から2人目)は東京に本社のある生命保険会社に勤めていた。三田は組合運動に関連して重役を殴り、大阪に左遷される。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

三田は母一人子一人の独身だった。三田は酔月という安旅館に下宿する。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

酔月の女将(三好栄子)は旅館の経営に四苦八苦していた。しかし、亡き夫の遺志を継いで旅館の矜持を守り、酔月を連れ込み宿などにはしたくないと必死だった。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

酔月荘にはおつぎ、おりか、お米という三人の住み込みの女中がいた。おつぎ(川崎弘子、右)は戦争未亡人で中学生になる一人息子がいる。いつも忙しく働くおつぎは子どもに会いたがった。たが、女将は認めなかった。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

おりか(水戸光子)には甲斐性のない料理人の亭主がいた。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

若いお米(左幸子)は三田に秋波を送る。しかし、三田は取り合わない。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

ある夜、三田の友人の田原(細川俊夫、中)と芸者うわばみ(乙羽信子、右)が酔月に三田を訪ねてやってくる。うわばみは三田を好いていた。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

気の優しい三田はおりか、おつぎを誘って大阪城に遊び、二人を労う。その後、おりかは金に困って宿泊客の金に手を出す。それが発覚し、おりかは酔月を出て行く。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

酔月に出入りするおみつ(安西郷子、右)は病身の父親と貧しい二人暮らしだった。三田はおみつから服地を買う。だが、その服地はまがい物だった。おみつは返金を約束する。ある日、おみつは三田に返金の一分を持参する。生活保護の金だという。翌朝、三田がおみつの家を訪ねるとおみつの父親は亡くなっていた。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

三田には大阪に意中の女性がいた。毎朝、通勤途中にすれ違う井元貴美子(恵ミチ子)だ。貴美子は三田や田原の大学の先輩で大平洋行貿易という会社を経営する井元の娘だった。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

井元は三田の上司である支店長経由で曰く付きの金を借りていた。支店長の突然の取り立てに追い詰められた井元は自殺する。憤慨した三田(右から2人目)は宴席で支店長(田中春男、左から3人目)を詰る。三田は東京本社への転勤を命じられる。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

酔月はいよいよ旅館業では立ち行かなくなる。女将は酔月を連れ込み宿に改装する。名前もホテル酔月荘と改め、連れ込み宿として営業を始める。アベック客が次々に訪れる。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

東京に戻る三田のために内輪の送別会が開かれる。田原、おつぎ、おりか、うわばみらが集まる。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

翌朝、製缶工場で働くおみつ(中央)の後ろを三田の乗る汽車が走り去る。
五所平之助監督『大阪の宿』(1954年)

この作品に描かれた昭和20年代末の庶民の貧しさにはやるせない気持ちになる。だが、不思議な明るさも伝わってくる。


An Inn at Osaka (1954) : Heinosuke gosho : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
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