ジョン・マルーフとチャーリー・シスケルの共同監督によるアメリカ映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』(2013年)。生前は全く無名だった写真家ヴィヴィアン・マイヤーの生涯と作品に迫ったドキュメンタリー映画。原題: Finding Vivian Maier。写真は1950年代にニューヨークで撮影されたヴィヴィアン・マイヤーのセルフ・ポートレート。
ビビアン・マイヤーは1926年にニューヨークに生まれた。父はオーストリア人、母はフランス人。幼少期には母の故郷のフランスにも滞在した。
ニューヨークの裁縫工場で働いた後、1956年にシカゴに移り住み、その後40年間にわたって乳母や家政婦として働いた。その傍ら大量の写真を撮影したが発表することはなかった。生涯独身だった。
生前のヴィヴィアン・マイヤーを知る人の寸評。「矛盾してた」「大胆」「ミステリアス」「エキセントリック」「内向的」「自分を見せなかったわ」「写真を撮ってたなんて初耳よ」「よく撮ってたわ、何枚もね」「公表は拒んだはず」。
2009年にシカゴで亡くなる2年前の2007年冬、マイヤーが借りていた倉庫の支払いが滞った。そのため、写真のネガ・フィルムなどが競売にかけられた。シカゴのコレクターのジョン・マルーフ(写真の青いTシャツの若者、この作品の共同監督でもある)は家の向かいの競売場でネガ・フィルムの詰まった箱を380ドルで落札した。
マルーフは歴史書執筆のための資料となる写真を探していた。写真はマルーフ(手前)が収集したヴィヴィアン・マイヤー関係の資料。
「撮影した人物の名前はヴィヴィアン・マイヤー」「ネットで調べたが情報は1件もなし」(ジョン・マルーフ)。以下の3点はヴィヴィアン・マイヤーの作品。
マルーフはそのネガをスキャンし、ブログに200枚ほど載せた。
「写真の投稿は爆発的な反響を呼んだ」(ジョン・マルーフ)。
マルーフはシカゴ文化センターで展示会を開く。「結果はセンターの美術展史上、最高の来場者数を記録」(ジョン・マルーフ)した。
反響に驚いたマルーフはマイヤーのその他の写真なども買い集めるとともに、再度ネットで検索する。「すると死亡記事がヒット、ほんの数日前のものだった」(ジョン・マルーフ)。
ヴィヴィアン・マイヤーの使用したカメラは二眼レフ式のローライフレックスだった。写真家ジョエル・マイヤーウィッツは「ローライフレックスは一種の隠し撮りカメラだ」という。
ジョエル・マイヤーウィッツは「(ヴィヴィアン・マイヤーの作品を)初めて見た時、喜びを感じた」「埋もれていた作品が世に出たのだからね」と述べる。以下は再び彼女の作品を3点。
「人間やストリート・フォトの本質をよく分かっている」「人間を理解し、包み込み、遊び心を添える」「彼女は真の写真家だ」(ジョエル・マイヤーウィッツ)。
写真家メアリー・エレン・マークは「視点がいいわ」「構図もうまい」「ユーモアがある」「悲哀も撮れるわ」「見事ね」「子供がすばらしい」「彼女は被写体の人生や風景を完璧に切り取っている」「発表していれば成功できたのに」と語る。
ヴィヴィアン・マイヤーのことはこの作品で初めて知った。素晴らしい写真家だと思う。この映画のなかでは生前の彼女を知る人々のインタビューが多数収録されている。彼女の生涯もとても興味深いのだが、詳細は割愛する。
何故生前に自身が撮った写真を世に発表しなかったのか?映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』予告編 - YouTube
コメント