マー・ジーシアン(馬志翔)監督による台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014年)。日本統治時代に台湾の農業高校の野球部が夏の甲子園で活躍したという実話に基づく。台詞は日本語が最も多い。他には台湾語、客家語、アミ語が話される。原題: KANO。写真は甲子園球場の嘉農野球部員。
1929年。嘉義市にある嘉義農林学校(略称嘉農、現在は国立嘉義大学に統合)の野球部は連敗が続いていた。
新任監督の近藤兵太郎(永瀬正敏)は部員を前にして「俺がお前たちを甲子園に連れて行く」と宣言する。近藤は松山商業出身で監督として母校を甲子園初出場に導いた経験があった。
近藤はスパルタ式の練習で部員を鍛える。同時に、それまでの台湾の野球チームは日本人が中心だったが、「蕃人(台湾原住民)は足が速い、漢人(中国系台湾人)は打撃が強い、日本人は守備に長けている」「こんな理想的なチームはどこにもない」と部員の出自にこだわらずチームを作り上げていく。
水利技術者の八田與一(大沢たかお)も部員たちを激励する。八田は当時世界一の規模を誇った烏山頭ダムの建設で有名だ。
猛練習の甲斐なく悔しい敗戦。野球部員の負けじ魂に火が付く。
嘉農野球部の快進撃が始まる。主将で4番の呉明捷投手(曹佑寧)を中心に個性的な選手たちが揃い、互いに強い信頼感で結ばれていた。
嘉農野球部は1931年の夏の甲子園に台湾代表として出場を果たし、旋風を巻き起こす。写真はラジオ中継を聞きながら嘉農を応援する嘉義市の人たち。
この作品は単なる野球映画ではないのだろうが、その話を始めると長くなるのでこの辺で止める。
映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』予告編 - YouTube
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