ハワイ・マレー沖海戦

山本嘉次郎監督による東宝映画『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)。1941年12月8日の真珠湾攻撃および12月10日のマレー沖海戦の勝利を描いた戦争映画。海軍省検閲・後援による国策映画。英題: The War at Sea from Hawaii to Malaya。写真は予科練での朝礼。
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前半は飛行機好きの友田義一少年が予科練の厳しい訓練を経て、パイロットとなるまで。後半は航空母艦での海軍生活、真珠湾攻撃、マレー沖海戦が描かれる。予科練での訓練や戦闘機や攻撃機の実写映像、真珠湾攻撃やマレー沖海戦の特撮映像など見所が多い。

母親から海軍入隊の許しを得て喜ぶ友田義一少年(伊東薫、右)と姉喜久子(原節子、左)。伊東薫はこの作品が公開された1942年12月に召集され、翌年1月に戦死した。享年20歳。
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友田は1937年夏、土浦海軍航空隊に入隊し、飛行予科練習部(予科練)で少年飛行兵を目ざす。写真は分隊長の山下宇一郎大尉(藤田進)。
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予科練でのラグビーの練習試合。
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九三式中間練習機による飛行訓練が始まる。着陸時に何度もバウンドする友田機を見て、教官は「あんなのは着陸じゃない」と呟く。
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友田は航空母艦飛行隊に配属される。この後、友田は第三分隊長となっていた山下大尉と再会する。舞台となったのは空母「赤城」だが、撮影には実物大の野外セットが作られ、その上を軍用機が滑走した。
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航空母艦飛行隊の分隊士 、田代兵曹長(真木順)。煙草の箱を航空母艦に見立てて、荒れた海での着艦を「荒馬の背に飛び乗るようなもんだ」とユーモラスに説明する。不安がる友田たちには「なに、2、3カ月もしたらどこにでも降りられるようにしてやる」と励ます。
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1941年12月8日の真珠湾攻撃の日。出撃前に神棚に拝礼する山下分隊長(左)。
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航空母艦の佐竹艦長(大河内傳次郎)による出撃前の訓示。
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真珠湾に向かう九七式艦上攻撃機。
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真珠湾のアメリカ太平洋艦隊と基地に対する攻撃。特撮映像。
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ベトナム・サイゴン(現在のホーチミン)の仏印基地に舞台は変わる。
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12月10日、マレー沖を航行中のイギリス海軍の東洋艦隊の攻撃に向かう九六式陸上攻撃機。
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日本海軍機の攻撃を受けて炎上する戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」。この後、沈没する。特撮映像。
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円谷英二が特殊技術監督を務めた。真珠湾については1,800坪に1/400スケールの精緻な特撮セットが作られた(写真)。
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ハワイ・マレー沖海戦 - YouTube
抜粋。

File:PearlHarborMockUp.jpg - Wikimedia Commons

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