以前からチャンスがあったら、鹿児島から琉球弧を飛び石伝いに台湾まで船で行きたいと思っている。沖縄諸島は何度も行ったので、ほとんど行ったことのない奄美諸島や吐噶喇列島について書かれた本をときどき読む。
そうした本で詩人のゲーリー・スナイダーが1960年代に吐噶喇列島の諏訪之瀬島にコミューンを作って住んでいたことを知った。The Last Whole Earth Catalog(1971年)にもこのことが載っている。当時は多くの若者が諏訪之瀬島を訪れたのだろう。
ゲーリー・スナイダーと山尾三省の対談集『聖なる地球のつどいかな』(山と渓谷社、1998年)を読んだ。内容はやや散漫だが、テーマは自然との共存など多岐に渡り、興味深い指摘も多い。ゲーリー・スナイダーの日本文化に関する発言を引用する。
まず、今問題にしているのは人種、言語、文化、場所です。四つの要素があります。昔々の古い時代には、人種と言語と文化と場所は同一のものとして考えられていました。日本文化とはそのように考えたがる文化です。これが公式の日本の物語ですね。
しかし実際の日本の文化というのはもっと複雑なんですよ。歴史の変遷でこれらの要素は皆バラバラになってしまいました。これらの要素が一緒にくっついているのではなく、別々の道を進んでいったのが歴史の体験したことですね。
(引用はここまで。)
もう一つ、インフォメーション・テクノロジーに関する発言も引用する。
若者を見ると、彼らは自分たちの時間を失っているような気がしますね。
個人的な経験、肉体的な経験が、ひじょうに抽象的なものにとってかわってきている。具体的で肉体的な経験を失いつつあるんです。情報の質ということからすれば、ハイクォリティーな情報というのはひとつ以上の感覚を通して手に入れるものなんですよ。たとえば見たり、聞いたり、嗅いでみたり、感じてみたり、ですね。
(引用はここまで。)
Gary Snyder - Wikipedia
聖なる地球のつどいかな|新泉社
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