ジントーヨーワルツ

知名定繁作詞、照屋林助作曲の「ジントーヨーワルツ」。照屋林助は1929年生まれの音楽家、漫談家。沖縄県でテルリンの愛称で親しまれ、2005年に没した。照屋林賢は林助の息子。

大正時代、沖縄師範付属小学校の主事だった稲垣國三郎が名護城跡を散策中、老夫婦が松の青葉を焚いて白い煙を上げているのを見る。老夫婦は船で本土に働きに出る娘を遠くの那覇港まで見送ることができず、娘の乗る船が名護の沖合いを通るころ、小高い城跡で娘が分かるように煙を焚いて見送っていたのだ。娘の乗る船は、それに呼応するように、黒い煙を吐きながら遠ざかってゆく。

稲垣國三郎はこの情景を『白い煙と黒い煙』というエッセイに書き記し、その後国語教科書に収載された。この一編は大きな反響を呼び、名護城跡の一角に碑が建てられた。
白い煙と黒い煙の碑

これをもとに昭和初期に知名定繁が作詞作曲したのが「別れの煙」だ。歌詞は沖縄方言による。

知名定繁・知名定男

照屋林助は「別れの煙」の歌詞にワルツの旋律をつけ直し、「ジントーヨーワルツ」にリメークした。

別(わか)て旅行きば 嬉(う)りしゃ淋しさん
覚(う)び出(んじゃ)しよ 産子(なしぐゎー)
ジントーヨー ジントーヨー
島ぬ事(くとう)んよ

別(わか)り路(じ)ぬ手布(ていさじ)
胸内(むにうち)に招(まに)ち
互(たげー)に想(う)みちらさ
ジントーヨー ジントーヨー
見ゆる間(えだ)やよ

親子(うやく)振別(ふわか)りぬ
照らし火ぬ名残(なぐ)り
面影(うむかじ)どぅ勝(ま)しゅる
ジントーヨー ジントーヨー
名護(なぐ)ぬ城(ぐしく)よ
ジントーヨー ジントーヨ一
名護ぬ城よ

これもまた、親子の別離や子を思う親の心を歌った屈指の名曲だろう。定繁の息子の知名定男、ネーネーズなど多くの歌い手が「ジントーヨーワルツ」を手掛けている。

知名定男
ネーネーズ(初代)

照屋林助は音楽家というよりも漫談家なのだろうが、センスのよさと芸域の広さに驚く。 

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