コンピュータとポルノグラフィ、あるいは外国語学習法

十代の頃からの友人に勉強のよくできたS君がいる。あるとき、S君から「英語の勉強にはポルノを読むのがいい」という話しを聞いた。試しにS君の薦める洋書のポルノグラフィを読んでみたら、苦手な英文がすらすら読める。

ポルノグラフィが扱う題材の性格上、登場人物は少なく、どういう状況でどういうことをしようとしているのかは想像がつく。特殊な意味で使われるスラングはあるものの、必要とする語彙も少ない。読みやすいのは当然だった。ただ、ポルノグラフィだけだと語彙が偏ってくるし、内容にも食傷する。そのうち縁遠くなってしまい、結局S君のような語学力は身に付かなかった。

それからしばらくして読んだコンピュータ関連の洋書も読みやすかった。登場するのは大雑把にいえばコンピュータとそれを操作する人間だけだし、内容の多くは人間(あるいは人間の書いたプログラム)が何かの操作を行うと、コンピュータが何らかの出力を返すというものだ。語彙についても、若干の専門用語さえ覚えてしまえば、それ以外はinput、output、execute、error、printなど同じ用語の繰り返しが多い。コンピュータやネットワークに関する基本的な知識があれば、それほど辞書を引かなくてもおおよそは理解できる。

外国語で書かれた本を読むということに関する限り、少ない対象、対象間の限られた関係性、単純な行為、複雑な感情の欠如、密室性、限定された語彙など、コンピュータ関連書とポルノグラフィには類似性があるように思う。

(追記)
ときどき暇つぶしにこういう益体もないことを考える。まったく時間の無駄というものだ。もうこうした妄想には耽らないという戒めのためにここに記す。

Untitled (Purple, White, and Red) (1953) by Mark Rothko
Untitled (Purple, White, and Red) (1953) by Mark Rothko


Untitled (Purple, White, and Red) | The Art Institute of Chicago

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