画家の熊谷守一による『ヤキバノカエリ』。熊谷守一は1880年に岐阜県中津川市に生まれ、1977年に東京都豊島区で亡くなった。熊谷の長女の萬は肺結核を患って1947年に21歳で早世した。『ヤキバノカエリ』はその火葬の後に家族が遺骨を抱えて帰宅する光景を描いている。左から次女の榧、長男の黄、熊谷。
熊谷守一『ヤキバノカエリ』(1956年、油彩、岐阜県美術館蔵)
熊谷守一は1971年6月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」で萬の亡くなったころについて以下のように書いている。
子供のことをさらにいいますと、長女の萬は、戦争中に渋谷の実践に通っているとき、勤労動員で軍の工場で働かされた過労がもとで胸を病み、三年ほど寝たきりで二十二年に死にました。
亡くなる少し前のある日、ちょっと起き上がったついでに、なにを思ったのか家にあった黒板のすみっこに、ついと白墨で「南無阿弥陀仏」と書きました。この字はなんとなく消すに忍びず、今もそのままにしてあります。白墨の字だから、最近はだいぶ色も薄くなってきましたが、まだはっきり読みとれます。妻も他の人も、私の書く字に似ているといっています。
(引用ここまで。)
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