陳澄波

陳澄波(Tân Têng-pho)は台湾の画家。1895年2月2日に日本統治下の台湾嘉儀市に生まれた。東京美術学校に学び、台湾人として初めて帝展に入選した。戦後、周囲に推されて嘉義市議会議員になったが、二・二八事件に巻き込まれ、1947年3月25日、嘉義駅前広場で国民党軍によって銃殺刑に処せられた。台湾を題材にした多くの風景画を残した。

陳澄波『嘉義街景』(1934年、油彩、個人蔵)
陳澄波 - 嘉義街景

陳澄波『夏日街景』(1927年、油彩、台北市立美術館蔵)
陳澄波 - 夏日街景

陳澄波『淡水』(1933年、油彩、国立台湾美術館蔵)
陳澄波 - 淡水

二・二八事件後、陳澄波は公には忘れられた存在となり、彼の遺族はひっそりと暮らした。小学校の同級生でもあった夫人の張傑は陳澄波の遺体が家に戻ると写真屋を呼んでその写真を撮らせ、数々の遺品を隠し通して守ったという。また、陳澄波が内地に留学していた時期も夫人は台湾に残って子どもを育て、裁縫で家計を支えたそうだ。陳澄波が将来名を成すことを信じて疑わなかったのだろう。夫人が思い描いたとおり、1980年代末以降の台湾の民主化に伴って、陳澄波の再評価が行われ、今では台湾における西洋画の第一世代を代表する画家として位置付けられている。


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File:Chen Chengpo 1927d Summer Street.jpg - Wikimedia Commons

File:Chen Chengpo 1933.jpg - Wikimedia Commons

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