吉祥寺の五日市街道沿いにある、カウンターだけの古ぼけた大衆居酒屋。数少ない馴染みの居酒屋の一つ。店主の山田康典さんが1972年12月に創業した。たまに顔を出し、山田さんの手が空いたときに少し雑談する。
開店40周年のとき、『満ち溢れる酒場』という記念文集を作った。私も『タロウ』という一文を書かせてもらった。タロウというのは山田さんが飼っていた愛犬の名前である。以下に転載する。
『タロウ』
結婚前の家人に誘われ、闇太郎の暖簾をくぐって早や30年。今も全く変わらない佇まいに魅かれ、電車を乗り継いではこの店を訪れ、ご主人や相客の皆さんとくつろいだ時間を過ごさせていただいた。
ご主人との四方山話にたびたび登場したのがタロウだった。タロウはご主人がかわいがっていた犬で、店のわきにちょこんと座っている姿をよく見かけたものだ。私も犬を飼っているので、タロウの話は長くなることが多かった。
数年前の秋、7時半頃に立ち寄ったら、まだ開店していない。ご主人が外に出てきたので声をかけたら、「昨日タロウが死んでね。今日もいろいろあったから遅くなっちゃって」という。カウンターの隅に入れてもらい、支度中のご主人から話を聞いた。
「老衰だね」「いつも井の頭公園を散歩してたけど、7月くらいから行けなくなってね」「ここ1週間は外にも出れなかった」「少し錯乱状態になってね、怖いときもあった」「缶詰をあげたら、すごい勢いで食べてね。指を噛まれそうだった。タロウの最後の頑張りだったんだね」「3日間くらいは苦しそうにずっと泣いていた」「最期は眠るように安らかに死んだね、まだ生きているようだった」。カウンターを挟んで、ご主人の話が続いた。
「今日、葬儀屋さんにタロウを渡した。明日焼いて、明後日帰ってくる。3万2000円だった」「この3日間は3時間くらいしか寝ていない」「疲れてるけど、今日だけは店を頑張ろうと思ってね」。そういいながら、玉子のパックを床に落としたりしていた。
ようやく開店したらお客さんが押し寄せて、すぐに満席状態。「準備が遅れた日に限って、こうだね」と忙しく立ち働いていたが、ちょっと手を休めては「来年は犬年だから、年賀状にはタロウのことを書くつもりだった。『18歳だけど頑張ってます』ってね」「これからは井の頭公園に行っても寂しくなるだろうね」と何度もタロウの話に戻っていた。
しばらくしてまた顔を出したら、タロウのお骨は自宅の庭に埋めたという。10年ほど前にタロウと井の頭公園を散歩していたとき剪定中の職人さんから分けてもらった、思い出の紅葉の木をそこに植えたそうだ。「これでタロウのことはみんな終わった」。愛犬タロウ、2005年11月11日没、享年18歳。
それから7年。今も思いついては闇太郎に立ち寄る。さすがにタロウの話は出ないが、話題には事欠かない。それにしても、この目まぐるしい世の中でこれほど変わらない居酒屋もあまりないだろう。40年間守り通したご主人に心からお喜び申し上げるとともに、これからも私たちの人生の楽しみであり続けてほしいと思う。
闇太郎開店40周年記念文集『満ち溢れる酒場』(2012年12月)
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