中城城跡

沖縄本島中部の北中城村と中城村にまたがる中城城跡を訪ねる。築城時期は不明。15世紀に護佐丸が居城した。沖縄の城の石積みには野面積み、切石積み(布積み、相方積み)の3種類があり、中城城跡ではそのすべてが見られる。三の郭の城壁は相方積み。
中城城跡

古城の趣を残す石積み。太平洋戦争の沖縄戦における被害が比較的軽微だったといわれる。
中城城跡

石垣の修復が必ずしも充分ではない。自然石をそのまま組み合わせた野面積みなどあちこちに崩落が見られた。
中城城跡

中城湾を臨む標高160mの高台に築かれ、東に太平洋、西に東シナ海の両方を見渡せる。沖縄本島のこの辺りは東西5kmくらいだ。
中城城跡

南の郭から一の郭に入るアーチ門。布積み。1853年に来訪したペリー提督一行は精巧なアーチ門を称賛し、詳細な報告書を作成したという。
中城城跡

護佐丸は琉球王朝の忠臣で、尚泰久王は護佐丸の娘を正室とした。しかし、勝連の阿麻和利の讒言によって謀叛を疑われ、阿麻和利を総大将とする王府軍に中城城を包囲されるや、抵抗せずに妻子とともに自害したという。ただ、反説、異説もあるらしい。


中城城跡

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